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mixiでは書かないようなアングラな感じ・・・か?
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こんばんわ。


まず長いんで、よければDLしてきいてみるのもいいかも。
http://www9.uploader.jp/dl/hutaba/hutaba_uljp00007.zip.html



こんなのを書くのは柄でもないんですが
氷雨君も書いていたのでせっかくだから書こうかと。

 


全部は分からないかもしれないけどね☆彡

 


注意事項:あいつはいない。登場しない。存在を認めてはいけない。誰のことだかわかっても発言してはいけない。

 

そう、僕が入学したのは今から5年前。
風がそよぎ、桜が乱れ舞う暖かな、明るい日のことであった。
誰も知ってる人がいないこの学校、どんなことが起こるのか胸躍る始まりの日だった。


というすばらしい出発ならよかったのだが、入学式より二日前
オレは寮への引越しを完了した。
周りには同級生はじめ、先輩や食堂のおばちゃんまでまったく知った顔を見かけない。
荷物を搬入して一息ついたのもつかの間、
寮のスピーカーが優しい口調でしゃべり出した。


「一年生は談話室に集まってください」


右も左も分からないのだからきっと説明会でもしてくれるんだろう。


そう思って部屋を出た。

ほかの一年寮生も続々と部屋をでていくのが見えた。

先に歩いている一年生の後を着いていった。
談話室の前には結構な数の寮生がたまっていた。

中から声が聞こえてきた。

「部屋にはいるときなんで挨拶がねーんだよ!」

談話室の中にはところ狭しと先輩が。

入っていくやつらはこんにちはと挨拶をして入っていく。

声が小さいと怒鳴られ、やっとこさ全員が入り終わる。

金髪で背が高く、まるでレスラーのような先輩、柄の悪そうな先輩が取り囲んでいる。

体育すわり(三角すわりともいうのか)をしていた一年はまず正座していないことを叱責された。



メモを持ってくるのが常識だといわれ、さらに叱責された。


そして、返事は「はい」、そして大きな声で。


先輩に会ったら挨拶。風呂に入るときも挨拶。出るときも挨拶。先輩が出て行くときも挨拶。


食堂に入るときも挨拶。食事中に先輩が入ってきたら会釈。授業中みかけたら会釈。

外出してるときにあったら会釈。


とにかく制約が多かった。





そんな説明の最中、背の高い、そして私服姿の男が理不尽に声を上げた。

「学生便覧にのっていません」


これが、かの有名な「寮生便覧事件」である。



男の名前は神奈川。
周りのみんなは、「よく言った。けど余計なこと言うんじゃない。おとなしくしてろ」


こんな心情であった。あるていど茶番だということ察していたオレだが、この発言の直後には背筋に寒いものを感
じた。

幼いながら社会のしがらみというか、どうしたらうまく生きられるかなんとなく知っていた俺にはとんだ迷惑な発
言であった。



オレの部屋の吉岡っていうC科のやつは入学式が終わった日に寮をでていった。

いいやつだったのにな・・・。


まぁそんな波乱の幕あけとともに始まった高専生活。


一年のときは情緒不安定で荒れていた気がする。


毎夜の談話と称した説教タイム。
一時間以上正座させられ、眠くても無駄な時間を費やさないといけない。

挨拶が小さいから発声練習もさせられた。

学校生活も面白いものかと思ったら面白くなかった。

なんか溶け込みづらいのだ。

最初は、わきあいあいしてるな、と思ったがなんとなく察してしまった。

それは時間がたつにつれて余計に感じたことなんだが。

二年三年、・・・となるにつれてどこの学校でも、男女でもみられるグループ化というやつだ。

俺はとくに友人とか興味なかったからわざわざ踏み込まなかった。


一人の親友のためには百人の友達を省みない



というスタンスであったからだ。持ちつ、持たれつ。

世話をかけたらあとで力になる。



世話をかけられたらあとで何か犠牲をいとわず付き合ってくれる。


そんな友を探していた。

この高専で何人見つかったかは分からないが、付き合いが続いていればその人のことだろう。


一年生のころは特に誰とも付き合わなかった。

ほとんどが寮に帰って寮生たちと遊んだ。

通学生でちょっと踏み込んだ付き合いがあったのは例の明くらいか。

きっかけは何だっけか。

PE'Zあたりだった気がした。

一年のころは特に攻撃的だったから、発言は頭が悪かったし、顔は疲れてたし、散々だった。

部活も運動部のバレー部に入った。

演劇部も魅力的で入った。

生徒会にあこがれていた俺は、この学校で学生会に入った。

いろいろあって疲れてた。

一年は散々であった。


一年のころしてた賭けポーカーは終わったときにみんなに悪いな、と思った。

俺は金ださずに紙面上でしか借金しなかったからだ。

もらう分はもらうが、金ないから払えなかったんだよね。

つまり、俺とゲームしても安心が買えるだけで実収入がなかった。

ごめんよ。コボ、ハセ。


基礎電気で死にそうになったが赤点なしで進級。

赤点なしであがったのは一年が最後であった。



ついでに、俺は寮の中で微妙にいじめにあっていた。

飯とか風呂とかは一斉にいくと込み合うので、それぞれのときにグループというか、

同じ時間帯に風呂に入るメンバが割り振られていた。

俺とほか二人で風呂にはいることになってたんだが、

その二人からほぼ徹底された無視をされていた。

そのころあまり付き合いがなかったからいいんだが

やはり無視されるのはいやでどうにか話そうとするが一言で会話が終わるという状況だった。

俺もあきらめてそいつらを無視することにした。

しばらく何も反応をみせなかったら進級後は普通にもどった。

めでたしめでたし。







二年。

例のウジノさんが担任。

この年はこの人の脅威をしらなかった。

確か二学期あたりからポテチ鯖はじめたんだっけかね。

アレ?三学期だっけ?

急に狐君がMSNメッセンジャーで話しかけてきたのがすべての始まり。

話しかけてきた内容は「暇だから何か面白いことない?」

そんな感じだった。

この当時、俺はポテチ鯖のシミュレータ鯖のほうをしていた。

ポテチ鯖をしったのは従兄がエミュ初めてたから。

ポテチ鯖のシミュ鯖やってて俺も手を出した。

このころはまだ本鯖も課金してたまにやってたりした。

狐君はポテチ鯖をはじめて、そのうちクラスのやつらがなぜかポテチを始めている。

このころはアカウント数の制限のため友人招待しかできない時代だった。

俺が狐君に。狐君がほか多数に紹介していったらしい。
そんなこんなでポテチが俺たちで大流行した時代だった。


そしてニコニコという面白い玩具に出会ったのもこの時代。

アカウントなんてない時代で、「とかち」が一週間しないで100万再生したとかしないとか。

弾幕が面白すぎて、っていうかめっちゃ濃くなって面白かったwwwww




テスト期間中も寝ている間中ずっと「とかち」ながしてた。

そんな俺は中毒。マジキチ。




二年の学期末赤点とった。

数学Aと電気回路。福蔵さんと豆さんだ。

どうにか乗りきった俺は三年生になる。


工華祭あったんだっけか。

明が彼女連れてきてた。

挨拶はしたがなんかいろいろと飛び回ってたりしたせいであまり詳しいことは話せなかった。


 


 




三年。

夏にある進級規定の変なテスト受けた。

みんな変な関数でめっちゃ点数あがってた。

このとき赤点なし。石川が生成期優秀者で名前が挙がってたけどこの年に留年した。

レポートしっかりやれよwww

救済措置があったのもこの年。そして二学期制になったのもこの年。夏休みがずれ込んだ。

後期中間は石川とテスト点を賭けたため頑張った。

いつもは30~番だったのが21番とかに。

コンスタントに80超えてた。

しかし上位層は頭逝ってるんじゃないかと思うくらい高得点。

だって80で成績は【優】なんだぜ?

優秀なクラスといわれていたが、俺は基地外の集まりだとおもった。

ちなみに、ほかのクラスで80超えると、10番台である。

当時の一般的なC科にいたっては10前後だったと思う。


まぁいいや。


この年もポテチ鯖一色だった。

授業終わったらすぐにログイン。

昼休みなんて1205分イベントの計算問題なんかを必死にやって金稼いでた。

月夜花靴ほしくて頑張ってとった後も月夜花に粘着してた。

比較的やわらかいからね。

DSで6k出るのはあいつだけじゃないかね。

大体15秒くらいで滅殺。

なぜか知らないけど、月夜花狩が激しい時代があって、競争率がやばかったときがあった。

10月前後かね。前から粘着してた俺には迷惑だった。


書き忘れたが、Age of Mythorogy の拡張版、通称ティタンが一年のころに寮へやってきた。

ジュンペが持ってきたらしいんだが、もともと明がくれたとかくれなかったとか。

一年から三年にかけてずっとティタンが人気で、ポテチしつつよくティタンする寮生3人でものすごい時間プレイ
した。




[プレイヤー*3] VS [COMレベル難しい*7]




とか




[プレイヤー*3] VS [COMレベル非常に難しい*3]




とか。1プレイ2時間とかだったなー。

負けると全部無駄になったし。

とにかくゲーム三昧な一年だった。


後期中間、須田の電子回路を85くらとったのに後期期末で30くらいをとった。

課題はしっかり出している。

課題であがるかなー、とおもってたら落ちた。落とされた。

再試である。まんま出てくれたからとれたが、課題しっかいやって出してるんだからおまけしろよ。

はじめてあったときから気に食わなかったが、このころ一段と嫌いになった。


 


四年。

図書館バイトはじめた。しばらくして山岡屋バイトも始めた。

金が一ヶ月10k+20~30k入ってきたのでいい生活ができた。

さらに車もってきてるやつに乗せてもらったりと、連日外食に出かける。

太るの気にしたけど太らなかった。やったね。

ポテチ鯖も相変わらず続けている。

三年の学期末にほとんどみんないなくなって、俺と明くらいか@バチくん。

また、管理人が一段とファビョり出したから鯖人口も激減していた。

見切りつけようかと思っていたが、Gvギルドにはいったりして、

さらにルシアンにお世話になってタナ弓が棚ぼた的に手に入ったりして頑張ってた。

タナ弓のかわりにルシアンがいなくなったのがすごく残念だった。

俺はルシアンの肩身だと思って大事にしたよ。

おかげであの鯖では最強のスナイパに慣れたと思ってる。

タナかってたら資金も潤沢になったし。

装備も全部作ったし。


さて、この年は12月にいろいろあった。ほんとに充実していた。

リアルもネットもいろいろと充実した。
このあたりからだんだんとのみに誘われる洋になった気がした。


さて、学年末。


俺は再試が5個あった。

数学A、確率統計、シスプロ、電気回路、電磁気学

確率統計を受け持ってくれていた福蔵さんには、裏スキルで裏テストなるものがあったらしい。
成績出す前に60点にしてくれる魔法のテスト。

このおかげで赤点が4個になり、俺は進級できた。


しかし、数学A、電気回路、電磁気学は俺が理解できなかったのが悪い。

赤点で当然だった。

しかしだ、しかしシスプロだけは納得いかなかった。

だってあの授業わかんないじゃん!?

いやね、頭では分かってるんだ。


しかし答案に書いた答えがことごとく×ってなに!?

三角で点くれてもさ、どうやって書けばいいの?
質問があまりに抽象的すぎてかけないって。

図をかけ、といわれてもさ、それはあくまでモデル化したものでしょ?

言葉でそれをさすものを書いても三角って・・・。

まぁなんにせよ納得できない科目だった。




どうにかして5年生。

過酷だった。

受験勉強はほとんどしなかった。


卒研もほとんどしなかった。

バイトも店長の嫌がらせで辞めた。

春過ぎに店長が変わった。

2chの掲示板でも話題になった女店長からおっさんに。

山●屋中尾店。

周りの同い年のバイトの子たちもやめてったよ。

シフト無理に入れられたりもしてたみたいだし。

俺は違ったが。

店長は顔からして気が狂ってる感じが伺えるやつ。

死ねばいいと思うよ。


受験は

首都大学うけて、豊橋技科大うけて、山形大学うけて、会津大学受けて。

前者二つは落ちた。首都大は物理がまったくできなかったから無理だと思った。

豊橋は数学も物理も駄目だった。

山形大学は面接と口頭試問だった。

口頭試問というか、待合室でペーパーテストした。

数学は各分野から1、2問ずつ。

英語は全訳。地震についてだった。

数学は答えを言うだけ。俺は理論も説明したが。

英語は発音と訳をいう。英語の発音ほめられた。

これは受かると思ったら受かった。

会津は受験者三人だった。基本的に簡単な問題だったが、思い出せないのがあったりで点数は低めだと予想した。

英語は4択。地元や学校の紹介の英作文。まあまあ。

数学は大門5つくらいでどの大学でもお決まりの出題。最後は微分の理論の証明だった。

かすってたけどできなかったorz

専門はプログラミングとか。

計算機概論と論理回路の問題みたいなのが多かった。

二の補数がてんぱってできなかったのが悲しい。

面接もあった。

テストの出来具合と、自己PRとか。

そのほか力学とか出題された。

距離、速度、加速度の微分方程式とか書いて、っていわれた。

正解書いたけど、間違ったと思って消してしまい、「それあってるよ」っていわれた。


まぁ合格していくことになったが。


 


とにかく受験は勉強しないせいもあって波乱だった。


 


 


 


 




卒研も適当だ。

レポだしたけどほんとに適当すぎて、

まじで取り消されるんじゃないかと思うくらい。

仮卒業っていわれたけど冗談だよな?

もう訂正する気ないぞ?

冗談だか本気だかわからない発言はやめてくれ。


 


まあ、なんだ。。。

いろいろgdgdになったがこんな5年間だった。



結局だ、最後まで俺はクラスには溶け込めないで卒業した。

寮ではすごい楽しめたからいいのだ。

普通の人は一日の大半を学校ですごすが、寮生は一日の大半を寮で過ごす。

学校とバイト以外は寮だ。

誰かしらと会うし、会話するし、部屋に来るし、部屋に行くし。

家族以上に会話をするし、対等な立場で話をするし、そして遊ぶ。

このプロセスを踏んでたら、いずれ家族以上の、もっとなにかすばらしい何かになれるとおもうんだ。

5年間、いざこざとか忌み嫌いあったり、異常に馴れ合ったり、知らぬ間に疎遠になってたり

雰囲気でハブったりしたけど、それでも同期の仲間なんだな、って感じるんだ。

卒寮文集の「からっかぜ」の出来上がりが遅くて、

在寮中に配れなくて、しかたなしに卒寮旅行中にくばったんだ。

そしたらアルバムみたいに寄せ書きしあったてね、俺の書き込みハンパなかったんだ。

大体だれとも遊んだからな。

ほかのみんなも書き込みがすごかったけど、俺が一番あったぞ!ほんとだぞ!ww

まぁなんていうか、絆っぽいものが感じられた。







俺は学校じゃとくに決まった仲間はいなかったから疎外感を覚えていたが

寮では超絶満喫した五年間だった。

たのしかったよ、寮は。

あと演劇部に新しく部員がはいっててくれてうれしかった。

学生会のメンバーも、あまり役に立たなかった俺を慕ってくれてる後輩や

仲間としてみてくれてる同期の仲間がいてくれてうれしいよ。






これがほぼ偽りのない5年間の所感。
 

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1988/01/01
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